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ロボット農業革新

人と人との信頼から広がる農業改革の輪
共創が生み出す農のイノベーション(後編)

2016年9月27日

本稿の前編で紹介したエムスクエア・ラボのベジプロバイダー事業は、参加メンバー間で信頼を積み上げながら着実に成長している。その一方で、社長の加藤百合子氏は新しいテーマにもチャレンジしている。物流、農業ロボット、生産、教育である。いずれも息の長い取り組みが求められる大きなテーマだが、何もしないわけにはいかない。

信頼醸成で強まった
「互いを思いやる気持ち」

エムスクエア・ラボの加藤氏が、立ち上げたばかりのベジプロバイダー事業に手ごたえを感じた出来事があった。2013年のことである。加藤氏が取り上げられたテレビ番組を見た人からの問い合わせがあり、取引が始まった。相手は東京・恵比寿のレストランである。

「うれしかったのは、取引を始めてから店の売り上げが上がったこと。その理由を聞いたら、3つあると言われました。素材がおいしくなった、ときどき珍しい食材が届くのでお客様を飽きさせない、料理のインスピレーションをもらえる――です。レストランのシェフは2カ月に1度、静岡の農家に足を運びます。畑に入って生産者と話をしたり野菜を食べたりすると、新しいアイデアが浮かんでくるそうです」(加藤氏)

エムスクエア・ラボ 代表取締役
加藤百合子氏

このレストランもチームの一員だ。買い手と売り手が参加するチームの数は徐々に増えて、今では5つほどになった。メンバーとして加わっているのは、50~60の購買者と120ほどの生産者である。メンバーは主として静岡県の企業や農家などだが、買い手側には大都市圏の飲食店なども名を連ねる。「おいしいものをつくる生産者」や「消費者においしいものを提供する購買者」など、いずれも食材を大切にする人たちであり、加藤氏の信頼するパートナーである。

チーム内に信頼関係が醸成されると、面白い現象が起きると加藤氏は言う。

「取引を続けているうちに、双方が互いに思いやるようになります。例えば、作物をたくさん収穫したとき、注文を受けないまま、いつもの買い手に勝手に発送する生産者もいます。受け取ったのが飲食店だとすれば、『これで、何か別のメニューを考えてみよう』という具合です」。

買い手は文句も言わずに、受け取った分の代金を支払ってくれる。そんな経験を積み重ねる中で、「食材は信頼関係のもとで流通するべき」という加藤氏の確信はますます強固なものになっている。

輸送コスト削減を目指して
中小ロットの物流インフラをつくる

エムスクエア・ラボは、農業ロボットの研究・開発にも注力している。写真左上から、自動台車、パワーアシストスーツ、いちご収穫ロボ。
*写真提供:日本農業ロボット協会

ベジプロバイダー事業が軌道に乗ると、加藤氏は農業周辺の様々なテーマに取り組みたくなった。「生産者と購買者をつないでいるうちに、たくさんの課題が見えてきたから」とのこと。4つのテーマがある。「物流」「農業ロボット」「生産そのもの」「教育」である。

まず、物流について。消費者の好みは多様化しており、飲食店や小売などの購買者はそれに対応せざるを得ない。したがって、物流は必然的に中小ロットにシフトする。ただ、中小ロットの農産物に適した物流インフラは未整備だ。ならば、自分たちでやろうと加藤氏は思った。

「中小ロットの青果類を送るには、宅配便は割高です。800円の野菜を送るために、800円の輸送コストがかかったりする。これでは、買い手はゲンナリしてしまいます」(加藤氏)

そこで、静岡県の補助事業として「生産‐流通プロセス一体型システム開発協議会(PD協議会)」を立ち上げた。生産者と購買者、物流、金融機関などが参加し、新しい物流インフラ構築を目指す。現在は実証実験段階だが、成功すれば新しい企業を立ち上げるつもりだ。

農業ロボットは、加藤氏にとって土地勘のある分野だ。加藤氏は農林水産省の補助事業として、「地方創生農林水産業ロボット推進協議会」を設立。会長に就任した。大学の研究者や農機具メーカーなどが参加し、ロボットの新しい形について検討した。そのコンセプトは「農林水産業×工業による、新たなイノベーションの創出」。工業のノウハウを農林水産業に生かそうという発想だ。

エムスクエア・ラボは、小規模ながら農業生産にも取り組み始めた。加藤氏の背中を押したのは「耕作放棄地がどんどん増えている。何とかしなきゃ」という思いだ。現在は3カ所、計8反ほどの農地を借り受けている。そこは、実験の場でもある。

「もともと実験が大好きなので、実験圃場を兼ねて農業をやろうと。メーカーから新しい資材やセンサーなどの提案を受けることが多いので、いろいろなものを試してみたいと思っています」(加藤氏)

最後に、教育である。テーマは、社会課題解決に取り組む人材育成。菊川市の委託を受けて、エムスクエア・ラボは「菊川ジュニアビレッジ」を運営している。対象は小学6年生から中学生まで。ハーブティーやごまの生産・販売などを通じて、「生き抜く力」の育成を目指している。

菊川ジュニアビレッジの活動の様子。農業というビジネスを通じて、
経営と技術の両面から様々な経験を積むことができる。
*写真提供:エムスクエア・ラボ

以上の4つは、それぞれが大きなテーマだ。おそらく、10年単位の息の長い取り組みが求められるだろう。それでも、一歩ずつ前に進む。ジュニアビレッジで学ぶ子供たちが成長すれば、やがて加藤の思いを引き継いでくれるかもしれない。

加藤百合子(かとう・ゆりこ)

1974年千葉県生まれ。東京大学農学部を卒業後、英クランフィールド大学で修士号取得。米国でNASAのプロジェクトに参画した後、帰国。キヤノンに入社。結婚を機に静岡に移住。産業用機械の研究開発に従事。2009年、エムスクエア・ラボを設立。2012年、「ベジプロバイダー事業」で日本政策投資銀行(DBJ)が開催した「第1回DBJ女性新ビジネスプランコンペティション」で大賞を受賞。信州大学客員教授。中央・地方行政の審議会委員を多数務めている。