close

地域地方創生

“創造的過疎”に見る地方創生の新たな姿
神山町に学ぶ“Win-Winのエコシステム”構築の秘訣(前編)

2016年9月16日

276

徳島駅からバスで1時間強。山あいにある神山町は、急激に進む過疎化から奇跡の社会動態増を実現した町として全国から注目されている。多くのITベンチャーがサテライトオフィスを構え、消費者庁が移転の実証実験をした地としても知られる。この神山町が注目される背景には、農林業のみに頼らない“創造的過疎”のアプローチにより新しい価値を創造し続けるエコシステム(生態系)があった。神山町のエコシステムについて、前編、後編の2回に分けてレポートする。

25年前から始まった
国際交流への取り組み

NPO法人グリーンバレー 理事長
大南 信也氏

神山町は徳島県の北東部に位置する、人口約5700人の田舎町である。徳島駅からバスで約1時間。山あいの決して広くはない道を上ったところにある。町の中央を鮎喰川(あくいがわ)が流れ、全面積の8割を山地が占める。

この神山町に大きな変化をもたらしたのは1体の人形だった。戦前、日米の友好の証しとして米国から贈られた「青い目の人形」のアリスである。青い目の人形の多くは、日米開戦とともに処分されたが、「人形に罪はない」と考える人たちの手で、そのいくつかは保護された。神山町のアリスもその1つだ。

アリスの存在を知った神山町の大南信也氏は「国際交流のシンボルとしてこの人形を里帰りさせたい」と考え、「アリス里帰り推進委員会」を結成して贈り主を探し出し、1991年に里帰りを実現させた。これが町の人々の国際意識を刺激した。1992年に「神山町国際交流協会」が設立され、1997年には徳島県の「とくしま国際文化村構想」を受けて、自主的に「国際文化村委員会」をスタートさせた。

国際文化村委員会が最初に手掛けたのは、県に対して道路の掃除などを自主的に申し出る「アドプト・プログラム」への取り組みだ。「文化というくらいだから、きれいな町であるべき」(大南氏)という思いからだった。

次に手掛けたのが、外国人を含めた芸術家たちを迎え入れること。手づくりによる国際芸術家村を目指した。大南氏たちはここで将来につながる決断をする。それは「本物しか受け入れない」という姿勢を貫くことだ。

国や県の補助に頼ることなく
対等な立場で移住を促進させる

国際芸術家村の構想はその後加速度的に発展していく。2004年12月には、NPO法人グリーンバレーを設立。大南氏が理事長に就任する。そして芸術家たちを受け入れる「神山アーティスト・イン・レジデンス」を運営するとともに、町の将来にとって必要な人を逆指名して受け入れる「ワーク・イン・レジデンス」にも取り組むようになった。

この発想もまた、今の神山町を形成する基本となる決断だった。デザイナーの西村佳哲氏の提案からヒントを得たものだが、「町に仕事がないのであれば、仕事を持っている人を町に呼べばいい」という一見突拍子もない発想だ。しかし、これが功を奏した。「本物しか受け入れない」という姿勢と相まって、町を活性化させる人材が徐々に集まってきたのである。

神山町での様々な活動状況を発信するWebサイト「イン神山」。

「大事なのは、常にフラットな関係であることです。移住にあたって、空き家を探したり、引っ越しを手伝ったりという支援は行っていますが、国や県の補助金制度に過度に頼るようなことはしません。それでは長続きしないのは目に見えています。あくまで神山町に興味を持った人だけでいいんです。Webサイトでもありのままの神山町をお伝えしています」(大南氏)。

実際に移住を積極的に受け入れている徳島県の他の市町村と比較して、神山町の支援制度はとても充実したものとはいえない。支援制度としてはわずかに「空き家リフォーム補助」があるだけだ。それでもこだわりのパン職人が移住し、元外資系企業の人がビストロを開業し、おしゃれなカフェも生まれている。

「商店街の将来像と照らし合わせながら、必要なピースを1つ1つ埋めている最中。すべて一本釣りの世界です」と大南氏は笑顔を見せる。

場としての価値を高める
“創造的過疎”こそ地方創生の道

こうした動きは個人だけでなく、企業にも波及した。最初に神山町にサテライトオフィスを開設したのは名刺管理ベンチャーのSansanだった。グリーンバレーが資金を投入して、商店街の一角に開設したクリエーター向け住居兼オフィスの「ブルーベアオフィス」を設計した建築家からSansan社長の寺田親弘氏を紹介されたのがきっかけである。

テレワークを活用したシリコンバレーのような働き方を目指していた寺田氏は、日本における新しい働き方を実践できる場を探していた。インターネット環境も整備され、都会の人たちが移り住み始めていた神山町は、まさにドンピシャだった。寺田氏は即断即決でサテライトオフィスの開設を決めたという。「その20日後にはオフィスを提供できました」と大南氏。こうした機動性も民間ならではの強みだろう。

このSansanが呼び水となって、IT企業や映像会社、デザイン会社など、場所にとらわれることなく仕事ができる企業がサテライトオフィスを開設し、現在では16社が神山町にオフィスを構えるようになった。アーティストやクリエーターがいて、商店街にはしゃれた雰囲気の店があり、先端のIT企業などがオフィスを構える町。現在の神山町の骨格が出来上がったのである。

「こうした多くの才能が集まってきた要因としては“アート”という間口の広い分野から取り組んだという側面が強いと思います」と大南氏は指摘する。一流のアーティストの元には、才能を持った、センスの良い人たちが集まる。神山町という狭いエリアにそういう人たちが集うことで、町としてのイノベーションが自然に発生する。アートというハードルの高さが、人材のリトマス試験紙となって、自浄作用が働いている。

1999年からスタートした国際的なアートプロジェクト「神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)」では、毎年日本および海外のアーティストが神山町に2カ月間滞在して制作活動を行い、10月下旬に作品展覧会を開いている。
*写真提供:グリーンバレー

人口が減少する日本にあって、地方の過疎化は避けられない。ではどうするのか。大南氏は“創造的過疎”こそが大事だと強調する。「創造的過疎とは、過疎化を受け入れる一方で、外部から若者やクリエーティブな人たちを招き入れることにより、人口構造を変化させ、働く場としての価値を高め、持続可能な地域をつくり出すことです」(大南氏)。それを実現するには、地元住民を含む多くのステークホルダーを巻き込んだエコシステム(生態系)の構築が必要だった。後編では神山町のエコシステムの実情について紹介していく。

276