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イノベーション経営戦略

東京大学にあるイノベーション教育プログラム、「東京大学i.school」──5つのフィロソフィーとは
INNOVATION PATH─イノベーションパス─
成果を出すイノベーション・プロジェクトの進め方【第8回】

2017年3月31日

プロジェクトをいかに着地させるか。イノベーションを生む秘けつは、発想術よりプロジェクト手法にあった!――本連載は、創造性の研究・実践で知られる東大i.schoolとコンサルティング企業i.labのノウハウを解説した書籍『INNOVATION PATH─イノベーションパス─』(横田幸信著、2016年、日経BP社)の中から、本サイトの読者に有用と思われる項目を、発行元の許可を得て転載したものである。新市場を生み出すような新製品・サービス・ビジネスのアイデア創出に取り組むビジネスパーソンの一助となれば幸いである。

東京大学には、主に東京大学学生がイノベーションの起こし方を学ぶための教育プログラムとして、「東京大学i.school」があります。

i.schoolは東京大学知の構造化センター内に2009年に設立されました。当初の教育対象は大学院修士課程の学生を中心としていましたが、参加を希望する学生の数も増え、今では学部生や博士課程学生にもそれぞれ最適化された多様なプログラムが提供されるようになりました。

また、産業界からもスポンサー企業として、若手から管理職まで社会人の方も一参加者としてイノベーションの起こし方に関する学びの場として参加してもらっています。所定の課程を履修し一定の学習成果が認められる参加者には、学生や社会人を問わず、東京大学知の構造化センターから修了証を発行しています。

なお、学部学生向けのプログラム(i.school KOMABA)では単位を発行していますが、修士学生向けのプログラム(i.school)と博士学生向けのプログラム(i.school EDGE)では、東京大学大学院の修了要件に該当する単位や学位(修士号や博士号)は発行していません。修了証はもらえるものの、正規の進級や卒業、修了に必要な単位も学位も出ない教育プログラムに対して、学生が自らの将来を見据え自発的で高い動機を持ち参加しています。

i.schoolには5つのフィロソフィーがあります。

人間中心のイノベーション:

人類の創造してきた技術や社会システム、文化はすべて、一人一人にとって価値があり、何より幸福の追求のために発展して来たとi.schoolは考えています。持続可能な幸福を実現するためには、リアルかつ全体観のある人間・社会理解に基づく創造こそが求められると考えています。

知の構造化によるクリエイティブ思考:

i.schoolの提供する創造的プロセスや方法論を活用することにより、思いつきのアイデア創出ではなく、重要な事実の発見、またそれら相互の関係性理解に基づくアイデア創出に役立てることができます。これらの方法論やプロセスはまた、創造的業務を目的とした異なる分野間のコラボレーションにおいても、思考の共通言語として円滑なコミュニケーションを可能にします。

創造を行うための新しいリーダーシップの育成:

i.schoolは新しいタイプのリーダーを育成します。新しいリーダーとは、ビジネスや社会の全体を見渡す広い視野を持ちながら、創造的な課題に挑み、目標達成を実現することができるリーダーのことです。イノベーティブなアイデアを持ち、あらゆる層のステークホルダーと協業しながら変革を実現することが新しいリーダーには求められます。

社会問題をイノベーションの機会へ:

差別、貧困、民族紛争、環境破壊など社会に深く根ざす負の側面に加えて、地球温暖化、出生率の低下、高齢化、水不足、食糧不足など、現代社会が考慮すべき課題は数多く存在します。i.schoolではこれらの社会問題の1つひとつに個別に向き合い、解決する方法は取りません。むしろ、社会問題全体を認識し、イノベーションの機会として捉え直します。

リアルな体験を提供:

i.schoolは生活者インタビューや企業とのコラボレーションの機会を提供します。リアルな実践はアイデア創出に役立ち、イノベーションへと到達する有益な足がかりとなります。

i.schoolの教育上のターゲットは、イノベーションへの道のりの全体像の中でも、特に0から1を生み出す「創出」の領域となっています。新しい製品やサービス、ビジネスモデル、社会システムのアイデアを出すところといえます。イノベーションの長い旅のなかでは、1から10と呼ばれるような、アイデアを「実現」するまでにも多くのプロセスがあります。またアイデアを市場に出して普及するまでのプロセス、つまり「拡大」に関しても同様です。繰り返しになりますが、i.schoolでは主に、0から1を生み出せるようになる「創出」の教育機会を提供しています。(図9)

図9 イノベーションへの道のり

さらにi.schoolは、イノベーション教育をキーワードとして、日本と世界、大学と産業をつなぐイノベーション・ハブとしてとしての側面を持ちます。例えば、i.schoolで教育を提供するのは東京大学の教員だけではありません。海外の先進的なパートナー大学の研究者・教育者や産業分野の第一線で活躍するデザインコンサルティングファームの実務家らを招き、協同的に世界最高水準のイノベーション教育プログラムを提供しています。設立8年度目を迎え、国内外のパートナー大学や企業も増え、Royal College of Art、Aalto Univ.、KAIST ID、Stanford Inst.of Design(d.school)、HPI d.school、Rotman School of Management.、Indian Inst. of Tech.、博報堂、日立製作所、日本総合研究所、Japan Innovation Network、フューチャーセンター研究会、PDD、IDEO、ZIBAなどと、強いパートナーシップを築いています。

スポンサー企業からは、新規事業開発部門や製品開発部門、技術開発部門などで日々イノベーション創出を希求し実践している精鋭の社員にもご参加いただき、学術と産業の両輪となった実践的な学びの機会が提供されています。

2012年度には、先端的なイノベーション教育プログラムを提供する、慶応義塾大学SDM、東京工業大学、九州大学芸術工学研究院、九州大学QREC、東北大学SSDなどの大学関係者と共に、活動成果や研究成果を発表し、互いに学び合う場としてイノベーション教育学会を設立するなど、国内の大学間の研究・教育者ネットワークも広がっています。(図10)

図10 イノベーション・パスとしての東京大学i.school

このように、特定の企業や大学が提唱するただ1つの方法論を追求していくのではなく、イノベーションというカテゴリーにおいて世界最先端の複数の方法論を横断的に学ぶことができる点は、i.schoolが持つ世界的にも稀有な特徴だと考えています。

それぞれの組織が提供するワークショップは、全く異なる性格を持つものの、考え方や枠組み、思考作業時のコツなどに共通性もみられます。所属組織はもとより、出自も専門性も異なるファシリテーター役の講師たちが、個別にワークショップを設計し提供していることなどを勘案すると、イノベーション創出の方法論の中にある普遍的な考え方や思考プロセスの存在は非常に興味深いものがあります。i.schoolで学ぶ学生には、ぜひその普遍的な考え方や思考プロセスの発見を期待するところです。私は現在はi.schoolのディレクターという運営を預かる立場なのですが、日本にいるにもかかわらず世界最高水準のイノベーション教育プログラムや最高のイノベーション創出プロセスを眼の前で見ることができ、なおかつワークショップ設計者とも議論を深めることができる体験は、私自身にも深い学びとなっています。2009年以来、そうした外部のイノベーション機関の方法論の横断的な体験と分析を通じて、i.schoolの中には独自の方法論が構築されてきました。

「人間中心イノベーション」を提唱、人材も育成

i.schoolの提唱している大切なコンセプトは「人間中心イノベーション」という言葉で表現されます。人間中心イノベーションとは、人々の生活や社会状況、文化背景の洞察に始まり、人々のライフスタイルや価値観を不可逆的に変化させるような画期的な新製品やサービス、ビジネスモデル、社会システムを創出する手法のことです。人間中心イノベーションという概念は、前述のデザインシンキングの本質的な特徴である「ユーザーへの共感」と相通ずるところがあります。i.schoolでも、理解のフェーズで実施する調査の時には、街に出てフィールド観察をしたり、ユーザーのご自宅を訪問してその方の作業を観察するということを大事にしています。

一方で、人間中心イノベーションのプロセスでは、必ずしも最初にフィールド観察やユーザーインタビューをするとは限らず、テーマによっては既存の優れたサービスに関する事例調査や分析、先端技術の調査を先行させる場合もあります。しかし全体の人間中心イノベーションプロセスを俯瞰した際にやはり大切にしているのが、人々の行動や価値観、社会変化、文化に対する洞察をアイデア創出や実現方法に生かしているという点になります。

i.schoolの活動コンセプトの中には、もう1つ大切な言葉があります。それは「イノベーション人材」を育てるという教育目標です。イノベーション人材という言葉は、あまり一般的なものではないと思いますので、少々説明が必要かもしれません。また、その概念を理解してもらうことは、読者の皆さんが今後身につけるべきスキルセットのゴールイメージを思い描く際に有用かと思いますので、少し解説をしたいと思います。

イノベーションを起こせる人材というと、いわゆる「イノベーター」と呼ばれるようなスティーブ・ジョブズ氏や井深大氏、盛田昭夫氏、本田宗一郎氏のような先端を走る起業家をイメージしがちです。しかしi.schoolでいうイノベーション人材の人物像は少し違います。

イノベーションの創出は必ずしも、強い個性と特殊ともいえる能力を持つイノベーターが率いるベンチャー企業だけから生まれるとは限りません。任天堂のWiiやトヨタ自動車のプリウスなど、成熟した企業の中からも、組織内でのクリエイティビティとコラボレーションへの絶妙なマネジメントを通じて生まれてきた事例は枚挙に暇がありません。i.schoolでは、現代社会のように成熟した大企業が多く市場そのものも成熟した状況の中で、イノベーションを生み出す可能性の高い人物像を想像してきました。

その結果として、大きく成熟した組織の中でイノベーションを生み出すような活動を先導したり、業務改革についてリーダーシップをとって推進したり、プロジェクトを設計し必要なリソースをかき集めることができる、そういう能力を持った人材を生み出すことをゴールにしています。そして、そのような人物像をイノベーション人材と呼んでいます。特殊なイノベーターにこだわらず、よりソフトでフレキシブルなイノベーション人材を育てたいと思っています。

一方で、i.schoolが設立され8年目を迎える今となっては、大学を卒業してすぐだったり、海外留学をして現地にて、または企業を退職してなど、経緯は異なっても起業しイノベーター的な生き方をしているi.school出身者も多くなってきました。私が把握しているだけでも、10人を超える人たちがそのようなキャリアを歩んでいるように思います。

2009年のi.school設立以来、教育プログラムの受講回数や習熟度が一定の水準に達した学生を「修了生」として送り出しますが、現在修了生は100人程度を数えます。既にイノベーションの芽を出した修了生もいますし、まだまだ準備運動中の人もいます。この100人を数える未来のイノベーション人材の今後の活躍を皆さんも楽しみにしておいてほしいと思います。また、i.schoolについてより詳細を知りたくなった方は、別の書籍「東大式─世界を変えるイノベーションの作り方」(2010年、早川書房)やi.schoolのWEBサイトで配布している活動報告レポートなどもご覧になってみてください。

ワークショップを頻繁に開催

i.schoolで提供するプログラムの中で最も大切なものはワークショップです。ここでワークショップについて事例を紹介したいと思います。

CASE:「暮らしの中のロボット-Robot Meets Life」

2013年度に、「暮らしの中のロボット-Robot Meets Life」というテーマで、敢えて技術側からアイデア発想を試みるワークショップを開催しました。ファシリテーター役は筆者に加え、ロボット工学研究者の遠藤謙氏(ソニーコンピュータサイエンス研究所)とプロダクトデザイナーの村越淳氏(千葉大学特任助教、2013年当時)をお招きし、科学技術と人間中心の考え方の専門家を交え、その交差点でアイデアを出してもらうことに挑戦しました。

ロボット技術は、日本が世界的にも優位性を持つ技術の1つであると信じられ続けてきました。確かに産業用ロボットの分野では、その技術力が生かされ、世界的にも一定の存在感があると言えるでしょう。一方で、日常生活に目を向けるとどうでしょうか。2013年当時は、ソフトバンクの「ペッパー」も登場しておらず、私たちの日常生活を見渡すと、アイロボットのロボット掃除機「ルンバ」以外には、いわゆるロボットらしい存在は見当たりませんでした。

鉄腕アトムやドラえもんなど、かつて私たちが夢見ていたロボットのいる未来の暮らしは本当に到来するのか。このワークショップでは、ロボット技術が持つ特有の価値や可能性を見つめ直し、ロボットと人、夢と現実を織りなしながら、ロボットと共にある未来の暮らしをデザインすることに挑戦しました。i.schoolが提唱する人間中心イノベーションと技術中心イノベーションの融合を感じさせる、挑戦的なワークショップとなりました。

STEP1:既存ロボットの調査・分析

新しいアイデアは、無から発生するわけではなく、既存知識の組み合わせに過ぎません。ワークショップの最初には、全ての参加者が、既に存在していて興味がそそられるロボットの事例を収集・分析しました。分析は、ロボットが持つ技術的機能と人側からみた提供価値の2つの側面から行い、その分析結果をカード形式で整理しました。

STEP2:新しい組み合わせの探索

概念として分離された、既存ロボットの機能と価値を活用してアイデアを出します。アイデア創出は、分離された機能を私たちの身の回りのモノに強制的に付与することから始まりました。「ルンバのように動き回る機能を椅子に付与するとどうだろうか?」「ホバリングする機能をLED素子につけるとどうだろうか」、このような実験的な強制発想を行い続け、新しい価値を持ち私たちの暮らしの中に位置づくことができるロボットのアイデアを探索しました。

STEP3:ラピッドプロトタイピング

着想されたコンセプト・アイデアは、それだけではまだ夢物語に過ぎません。そのアイデアが私たちの生活の中でどのように動くのか、それによって生活がどう変化するのか、充分にイメージアップするためにも、日用品等を用いてプロトタイプを制作しました。プロトタイピングの過程で、ユーザーがどのように使うのか、その結果どのような気持ちになるのかなど、ユーザー体験の理解も深めることができて、アイデアの見た目だけではなく、コンセプトの中身もブラッシュアップされていきました。

延べ2日間という短い期間のワークショップでしたが、どのチームもi.schoolとしては珍しい技術を起点としたアイデア発想方法を巧みに使いこなし、ロボット技術を活用しながらも、私たちの暮らしの中に確かにあってもおかしくないと感じさせる、身近なロボットを発案しました。アイデアの例としては、蛇型の形状と駆動システムを持ちどんな隙間や高い場所にも登っていけるペットロボット型のモップや体表面がウレタンビーズで覆われており疲れて倒れこんでくるユーザーを優しく包み込みながら受け止めてくれるクッションロボットなどが発表されました。ロボット工学研究者の遠藤謙氏からは、「蛇型のロボットは技術的にもどのように作ればよいかというイメージが湧くので、直ぐにでも実物を作れそうな気がします。」などのコメントをもらい、必ずしもロボット技術に詳しいわけではないi.school学生の発想を実現可能性の面からも評価してくださいました。

プロダクトデザイナーの村越淳氏からは、同じく蛇型のロボットについて、「掃除機から吸い込む機能を捨てられたことが、アイデアとして一段上に行けた理由なのではないか。ロボットの良さでもある機能の複合化をわかりやすく考えるためにポストイットの貼る行為が用いられたが、その中でもシンプルに機能を絞れた(普通なら捨てられない方の機能を捨てられた)ことが勝因もしれない」といったコメントをいただきました。このように、着眼点の異なる多様な専門家によるコメンティングは、学生のアイデアに対する審美眼を鍛える機会になっているように思います。

一般的に、イノベーションを生み出すことになる優れたアイデアは、強い個性とともに、様々な市場環境や技術準備状況、ユーザー体験などとの高度に調和がとれたものであることが多いようです。そうしたアイデアを生み出すためには、アイデア創出のみならず選抜する段階やつくり込む段階でも多様な視点で評価し、それらの全体最適を保ったまま微調整し洗練するような思考作業が求められます。そのためにも、専門家でも複数人から意見を聞くなどして、多様な視点で評価をもらい続けることは有用であるように思います。

オンライン教育への挑戦

イノベーション教育プログラムの形態は、ワークショップなどのメンバーが直接顔を合わせる形式で進めていくことが一般的です。こうした進め方には、意見交換のし易さや前向きな雰囲気を醸成させ易い等のメリットがある一方で、参加者数が限定される点や、講師をつとめる人材の不足の点など、普及の観点からは課題が残っていました。

私は、実地によるワークショップを中心とした既存の実施形式とは別の可能性に注目し、2014年にオンライン教育に挑戦しました。オンライン教育サービスを提供するスクー株式会社(以下、スクー)と連携し、同社の動画配信プラットフォーム上にて、1回60分で5回の講義と1回90分で3回の簡易ワークショップ形式の授業を行う機会を持ちました。スクーには、その時の取り組みを見た全国の大学からも反響があり、法政大学、早稲田大学をはじめとする全国10大学とスクーとの連携が、2015年3月に発表されました。オンライン教育分野は今まさに破壊的イノベーションが起ころうとしている産業分野です。また、大学教育もまたそのタイミングにある分野だといえるでしょう。今回の東京大学i.school のオンライン教育の試みそのものが、そうした状況に対して1つの可能性を指し示すことが出来ていたらよいなと思います。東京大学i.schoolの授業は現在も無料配信中ですので、興味を持たれた方は御視聴ください。

>> 【第9回】イノベーション人材が身につけるべき要素や能力 に続く

*本記事は、書籍『INNOVATION PATH─イノベーションパス─ 成果を出すイノベーション・プロジェクトの進め方』(横田幸信著、2016年、日経BP社)の内容を、発行元の許可を得て転載したものです。無断で再転載することは禁止されています。

INNOVATION PATH─イノベーションパス─ 成果を出すイノベーション・プロジェクトの進め方

横田幸信(よこた・ゆきのぶ)
東京大学i.school ディレクター/i.labマネージング・ディレクター

NPO法人Motivation Maker ディレクター。九州大学理学部物理学科卒業、九州大学大学院理学府凝縮系科学専攻修士課程修了、東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程中途退学。修士課程修了後は、野村総合研究所にて事業戦略や組織改革、ブランド戦略などの経営コンサルティング業務に携わり、その後、東京大学先端科学技術研究センター技術補佐員及び博士課程を経て現職。イノベーション教育の先駆的機関である東京大学i.schoolではディレクターとして活動全体のマネジメントを行う。現在は、イノベーション創出のためのプロセス設計とマネジメント方法を専門として、大学及び産業界の垣根を超えたコンサルティング活動と実践的研究・教育活動を行っている。